MINYO IN THE TOWN Vol.3@WWW X 2018.9.22(sat)

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民謡クルセイダーズ主催のトリプルファイヤーとのツーマンを渋谷WWW Xに見に行った。

 

まず、トリプルファイヤーから。

 

このバンド、「高田馬場ジョイ・ディヴィジョン」「だらしない54-71」と称されているんだけど本当に誰が例えたのか知らないけど当てはまりすぎて笑う。しかしこんなオリジナリティがあるバンド他に知らない。

演奏陣がストイックに刻んでいるのが素敵ですよね。極限までそぎ落とした結果のグルーヴって心地よい。このバンドの音楽って一瞬も気が抜けない緊張感で演奏してるんだと思う。その上にボーカルのだらしない歌がのるんだけど、いや、一見ユルいボーカルに見せかけて実は全然ユルくなんかない。このボーカルこそが最も緊張感のあるポジションなのかもしれない。間の取り方が絶妙だったり、言葉の言い方の妙である。お笑いのボケのようなラップ、これは新しいHIPHOPだ。ボーカルの存在がこのバンドのオリジナリティなんだと思う。

だって、こんなボーカリスト他にいるかよ。まじで天才なんじゃないかって思う。いや、あんまり天才だ天才だとか言いたくないんだけど。彼はずっとくすぶっていてほしい。「俺はこんなもんじゃない」「明日から本気だす」っていうスタンスをキープしていて欲しいと勝手に思っている。そこに共感しているし、そこがエモい部分だから。勝手なことばっか言ってすいません。

この日はパーカッションのサポートが加わった5人編成だった。パーカッションがカッコよかったので、5人組になればいいのにって思った。元々演奏がめちゃめちゃタイトなバンドなので、パーカッションが映えるなって思った。ブレイクがいちいちカッコイイんだよなあ。

 

次に、民謡クルセイダーズ

 

今年の2018年のフジロックの深夜枠で出演しており、見たいと思っていたのだけど台風が大変なときで、心が折れて見るのを断念していたので、今回のイベントに足を運んだわけなのでした。

民謡をラテンやスカにアレンジしているバンド。

日本の民謡だって立派なソウルミュージックだったりダンスミュージックであると言ってもいいと思うんす。なんで日本の民謡は独自の進化をしなかったのだろう。洋楽かぶれの歌謡曲(J-POP)と、民謡は一線を画されている気がするけどなんでなんだろう。演歌も同様で、昭和になって演歌は歌謡曲に変化したようで、J-POPと演歌って全然かけ離れた音楽になってしまった。なぜ日本の演歌や民謡は隔離されてしまったのか。同じ音楽なのに。

もしも、日本のルーツ・ミュージックの民謡が独自に進化して、ゴルペルやソウルがR&Bになったように、ブルースやカントリーがロックになったように、そこから更に音楽が混ざり合い新しいジャンルが世界中で生まれているように、日本の民謡がルーツとして進化した音楽が僕は聴いてみたい。

そんな痒いところに手が届くバンドが民謡クルセイダーズなのだろうか。昭和の歌謡曲が生まれる前の戦前の時代にタイムスリップして、もしも民謡とラテンミュージックを融合させた音楽があったら。そんな歴史を変えるようなロマンを感じるバンドだなって思った。

民謡って、実は子供の頃からお祭りとか盆踊りとかで自然と擦り込まれている音楽なんすよね。日本人なら自然と血が騒ぐDNAを持っている筈だと思う。盆踊りなんてまさにダンスミュージックだし。民謡クルセイダーズが演奏する「会津磐梯山」カッコ良かったです。血が騒ぎました。