舞台「だからビリーは東京で」@東京芸術劇場

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出演:古山憲太郎 / 津村知与支 / 生越千晴 / 西條義将 / 伊東沙保 / 成田亜佑美 / 名村辰

 

「だからビリーは東京で」という舞台を、東京芸術劇場シアターイーストにて見に行きました。モダンスイマーズという劇団の舞台です。

 

「とある劇団と、何かを始めようとした若者の話です」蓬莱竜太

不測の事態に自分の世界が突然変わる。目指すものがなくなり、向かいたい場所がなくなる。余裕はない。不要、不要、不要。不要の芸術、不要の表現。何かを変えなければならないのか。一月先のことがわからない。かつての世界に戻っているのか、いないのか。世界は突然変わる。その時々で変わる。たどり着いても、また変わる。自分は本当に不要かもしれない。自分は変わらなければならないのか。 表現は、自分は、本当に不要ではないのか。

「だからビリーは東京で」HPより引用

 

久しぶりに、演劇の舞台を生で見てすごく楽しかった。

そうか、そういえばコロナ禍になって舞台を見に行くことも出来ていなかった。

コロナ禍以降私たちの生活は本当に変わってしまった。このような演劇を楽しむことも特別なことだったんだと実感した。

 

演劇という世界は芸術だと思う。しかし芸術なものほど「不要」だと淘汰されてしまう世の中になってしまったのだと訴えかけてくるお話だった。

 

この物語の劇団は、アバンギャルドで前衛的な演劇のスタイルで、客が少ない弱小劇団なんだけど、彼らは前衛的な芝居をやればやるほど、未来を見失い苦悩していく。芸術ほど不要だといういまの世の中へのアンチテーゼを感じた。

 

「前衛的な演劇の方向性に苦悩する劇団員たち」をポップに描いているお話なんだけど、

私の次の役は「花びらをひたすら投げつける店員」っていう役名なんだけどなんなんすか?これ?と、いう風に、演劇が前衛的すぎて苦悩しているんです。その「前衛的な演劇」への皮肉がとてもコミカルに描かれていて面白かったわけですが、

凄いなって思った演出があって、

「前衛的な演劇を稽古しているシーン」と「回想シーン」とのシーンの切り替えの演出が素晴らしかったんですよ。文章で説明するのがムズいんですが、

回想シーンって、現実じゃなくて思考に語りかけてきている感覚に近いと思うんです、回想シーンが夢の世界のように例えば急に周りの人たちが踊り出してもそこまで違和感を感じないかもしれない。ミュージカル的な演出なのかな?って思うくらいで、みんな変なダンスを踊り出していることが不自然に感じつつもそういうもんだと受け入れている次の瞬間、場面がパッと切り替わって、劇団員たちが稽古している場面になるんです。

そのとき「あ、現実だったのか…」と目が覚めたような感覚になったんですよ。

あのシュールな変なダンスは「前衛的な演劇の稽古」だったわけです。

ドラマとか映画で映像の表現ならそんな演出は、編集でいくらでもどうにでもなるところを、演劇の舞台という目の前でリアルタイムで行われる表現で、そのような「目が覚めた」というか「なにか考えごとをしていてハッと我に返ったような感覚」を味わされたのが新鮮な体験でした。これこそ舞台ならではの表現なのかなと感動したのです。大丈夫ですかね、ちゃんと文章で伝わってますかね。

 

演劇の舞台を生で見るという楽しみを、改めて実感してしみじみと感動したというのもあったと思う。この物語がいまのご時世とシンクロして深く感情移入して物語に没頭してしまった。